うつ病1
数年経ち、
今、やっとその時の自分を冷静に見つめられ、
そして、書けるようになった。
36歳??かな?
ある時、全てに疲れてしまい、
カメラの前で感情が動かなくなった…。
そんな壊れたオレを復帰をさせてくれたのは物作りだった。
映画編集、脚本、絵本、キャラクターデザイン〜

(映画・“ロマンス”より)
女優さま。なのに…
なして?今、映画の脚本を書いているのか?
それもたまたま流れに添っての成り行き…人生分からん。
しかし…時代が変るように、
自分の気持ちも変ります。
これからも変るんだろう人間だしなぁ。
まっ、生きてりゃ、その時の状況も〜いろりろあり、
変っていくのが当り前っていうの?それでいいやと思う。
頑張る時は頑張っちまうんだし…
川が流れるように流れる時はそれはそれで、
休みたくなったら寝りゃ良い♪
20数年間の女優さま時代があったから、
今の全てがあり、
前よりも…今も少しはやっているんだけど…
でも、
女優さまの仕事を続けて行きたいなと、
今、素直に思えるようになった。
そんな事を思える自分が嬉しい。
しかし、世の中そんなに甘くない…でも…いいのだ。
もちろん、うつ病になり、
「同じ人間と思われたくない」
と言われ傷ついた事もあった。
でも、そんな事を乗り越え、
沢山の時間、沢山の周り人々…が、
どれだけ力になってくれたか、その時は分からなかった。
今だからわかるんだね。
そんな事を…ゆっくり書けていけたらと思う。
…今年、オレが44歳だから10年前??…
相変わらず数字に弱い。月日が経つのは早いな〜
重度のうつ病。
辛かったな〜〜あれは…
でも、医者の言う通り、相当酷かったのか、
このオレが珍しく先生の指示を…っていうか、
気力も何もないのが、うつ病で…先生の…言葉…
素直に…ただ…聞き…それと、
芸能界に詳しい先生で…で、2年で完治。
変な事、言うようだけど、
『うつ病はオレの大切な宝物』
になった。
なぜなら…
自分の弱い所がハッキリ分かったから。
自分の弱い所が分かるというのは、
反対にとても自分に強くなる。
先生が言った。
「体が風邪ひくように、
心も同じように風邪ひくんだよ。
あれ〜?と思った時は内科に行くように
いつでも来なさい。
日本は、そういうの遅れてるからね。
偏見もあるだろし」
(完治してから今んとこ、ねぇーなぁ〜〜)
その当時、うつ病はまだ珍しく、
病院に行く事も恐かった…オレも人の子、
女優さまが心療内科に?…バレたら、どうすんねん?!
ので、変だなと思いつつ、心療内科に行けなかった。
今はそうでもないけどね。皆、告白してっから。
♪春うらら♪
家人に腕を引っ張れ、泣きながら行ったなぁ〜〜
(つづく)
一応、オレの女優さま以外のプロフィールです。
『1964年東京都生まれ。
1980年、俳優水島かおりとしてデビュー。
夫・長崎俊一が監督した、
『ドッグス』(主演)(98)、『柔らかな頬』(01)
では、
雲丹の名義で編集を担当。世界中の映画祭へ。
『8月のクリスマス』(05)では脚本を共同執筆し、
クレジットされないものの実質的な脚本家デビューを果たす。
そして、
今回『西の魔女が死んだ』でも脚本を担当、
長崎のパートナーとしての役割を大きく越え、
作品に貢献した。
現在、独特の個性をいかしオリジナル脚本、
小説、絵本なども執筆中である。』
毎回とは言えないけど、
自分が感じた経験した事を嘘なくゆっくり
綴っていきたいと思っています。
水島より


